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特別寄稿

●W杯の誤審について思う

球技審判評論家・球下 剛史


 にわかサッカーファンも含めて、素晴らしい盛り上りをみせた今W杯に水を差す話題の一つに誤審の問題がある。誰もが完璧なゴールを見たと思った瞬間に鳴り響くホイッスルの音。ファール、オフサイド、ラインを割ったなどとの判定。抗議する選手、苛立つベンチ。それはそうだろう、個人のプライド、国の威信を賭けての戦いなのだから。誤審そのものも許せないが、もっと許せないのは後になってあっさり誤審を認めてしまうことだ。これでは負けたチームもサポーターも救われない。サッカーもビデオの導入を真剣に考える時期に来ていると思う。

 相撲やラグビーなどは既にやっている。ラグビーの南半球のスーパー12を見ていると、トライかどうかの判断が難しい時、審判が両手で四画の線をジェスチャーする。これがビデオ判定のジャッジです。前後、左右の角度から何度も何度も映し出し決定されます。放送を見た感じで言えば、サッカーでも簡単に出来そうです。

 「選手諸君、私もきわどい判定を間違える審判員の1人に過ぎないのだ。だから、きわどいボールにはバットを出しなさい」。これは大リーグの名審判と言われたカル・ハバードの言葉です。神のような正確さを求められる審判だが人間であるが故の限界を感じさせられる言葉です。河川敷の名審判・臼井さんが大喜びしそうな言葉ですが、本当は苦渋に満ちた言葉です。サッカーも野球も人間の目に頼っている限り「トラブルの種はつきまじ」なのです。だが問題の解決はただ一つ「それがゲームなのさ」です。

 ラグビー界では伝説の話ですが、ある選手がトライを挙げたが、審判は認めなかった。そのためチームは惜敗し、連勝記録も逃した。審判の判定に一言の抗議もしなかったその選手はしかし、臨終の間際に「あれはトライだった」。と言い残してこの世を去った。
機械に頼らずあくまで人間の尊厳がゲームを支配すると言う考え方には共感を覚えるものの、それならそれで簡単に誤審を認めるべきでない。選手や国もヒステリックな感情をあらわにするべきではないだろう。

 誤審克服の唯一最良の道は審判のスキルアップという事になるだろう。事実ハードルは高い。まず、50m走7.5秒以内、200m走32秒以内、12分間走2700m(時間内に)などの体力測定をクリアしなければならない。このほかに講習会も義務付けられている。それでもなお、日本や韓国の梅雨の気候にフィジカル面が付いていかなかった点が多々あったと思う。明らかに審判の足が止まってしまった試合が多かった。驚異的な運動量を誇った韓国戦に誤審が集中したのもその現われかも知れない(好意的に見れば)。

 また審判の経験不足を指摘する声も高い。稲本選手の幻のゴールを演出した審判はW杯デビュー戦だったし、韓国―イタリア戦の笛を吹いた審判もその経験の少なさを指摘されています。プロリーグのない国やW杯とは無縁の国から派遣された者も少なくないと聞く。少なくともW杯の笛を吹こうとする審判ならば、予選リーグの時点から淘汰されてこなければならないだろう。そうして生き残った経験豊富な審判(国や地域にこだわらない)による運営がなされないといけないだろう。

 それでも誤審は無くならないだろう。なぜなら「それがゲームなのさ」だからです。簡単に誤審を認める事は何度も言うように絶対反対です。それは自殺行為です。でも己が良心の命ずるままに、臨終の間際に「あれはゴールだった」と言うのは一向にかまわないと思うがどうだろうか。

2002年8月1日



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