「サタデーリーグ」トップページへ
前ページへ

2003年度「380試合審判」足跡

平田 東審判員



 野球を愛するプレーヤーの皆様、審判活動をされている皆様、そして野球に携わる関係者の皆様、新年あけましておめでとうございます。

 昨年、2002年度「350試合審判」の足跡に続き、2003年度・審判活動のまとめを投稿させていただきます。

 2002年度の私の年間審判活動は350試合を数え、1986年に明治神宮外苑審判協会時代に記録した、467試合に次ぐものとなりました。

 2003年のシーズンを迎えるにあたっては、年齢的にも体力的にも無理をしないことを心がけ、年間目標を200試合程度に留めたいとの意向をもってスタートしました。

 しかし、試合を重ねるごとに自分の意思とは反対に、審判の依頼があれば、体が空いている限り引き受ける形で日々進行し、シーズンが終わってみれば380試合という数に達していました。

 審判活動はシーズン始めから順調に進み、5月だけでも54試合を記録し、9月初旬に昨年同時期の試合数と比較してみたところ、10数試合上回っていることがわかり、この時点で方針転換し、昨年の記録である350試合を目指すとともに、1年365日として1日1試合平均の審判、つまり365試合に向け目標を変更。シーズン始めの無理をしないという言葉を忘れた形で、その後は目標に向かって邁進する毎日となりました。

 この間、10月には高校時代の1泊のクラス会、また11月2日(昨年までは9月開催)には同じく高校の同窓会総会も欠席し審判活動に専念しました。(私の故郷は福岡県飯塚市です)

 2003年の審判活動のスタートは、1月12日(日)サタデーリーグ外の試合で、大田区の多摩川ガス橋緑地のグラウンドで、1月早々の寒中試合とはどのようなものか体験したいとの思いから、サタデーリーグ会長の臼井さんに依頼して組み入れてもらった試合でした。
 当日は1月とは思えない小春日和の1日で、気持ちよく審判ができ幸先よい1年のスターとなりました。

 一方、最終試合は12月14日(日)地元(茨城県筑波郡伊奈町)スポーツ少年団野球部の、6年生を送る大会で、この日も日中は比較的暖かく、2003年の最終試合を締めくくることができました。

 全ての日程が終わった12月中旬、1年にわたる審判活動の疲れを癒すとともに、以前から抱いていた3つの大きな目的をもって故郷の福岡へ帰りました。
 昨年7月まで22回に亘って投稿した「我が野球人生に悔いなし」の中でも述べています。

 1番目は、私が県立高校受験に失敗し挫折しかけたときに、私立飯塚商業高校受験のアドバイスを頂いた、同じ炭坑の長屋に住まわれていた、2年先輩の福重精介さんに会うことでした。福重さんの、このときのアドバイスがなければ、現在の私はなかったと思っています。

 現在北九州市に居住され、数年前に大手デパートを定年退職される前後から、体調を悪くされ、入退院を繰り返されているとのことで、福岡に帰ったあと連絡を取ってみると、現在入院されていることがわかり、入院先の北九州市内の製鉄病院を訪ねました。野球が大好きな方なので、持参した純白の硬式ボールを手渡し「今後ともがんばってください、元気になって再会しましょう」と約束をして病室を後にしました。
* その後、奥様から12月21日に、退院されたとの吉報をいただきました。

 2番目は、中学校時代の野球部の先輩である、喰田孝一(しょくた)さんに会うことでした。
 私の中学校(福岡県飯塚市幸袋中学校)の3年先輩で、県立嘉穂東高校に進学の後、野球部に所属し、2年のときに県立東筑高校に野球で引き抜かれ転校された異色の方で、3年の時に元オリックス監督の仰木さん(東筑高校〜西鉄〜近鉄)とバッテリーを組んで甲子園へ出場、その後、ノンプロに入り都市対抗野球大会で活躍した後、母校東筑高校野球部の監督となり、平成7年に退任される迄の34年間(昭和41年〜48年は八幡西高校)の監督生活中、春・夏合わせて3度の甲子園出場。
 福岡県の高校野球界では喰田野球として有名な大先輩で、過去に一度もお会いしたことがなく、果たして会って頂けるかどうか?の中で、連絡を取ってみると意外にもあっさりと、待っていたヨ、的な感覚で会って頂けることになりました。

 JR黒崎駅で午後7時に待ち合わせの後、弟さんが中間市内で経営されている串焼屋“喰彩”という店で、九州と関東の主に高校野球に関する情報などを、時間が経つのを忘れて話し合うことができました。
 現在喰田先輩は、北九州で中学生を対象に学習塾・喰田野球クラブの監督をされています。

 3番目は、高校時代に同じクラスで野球部に在籍し、ともに汗を流し上級生の鬼のシゴキにも最後まで耐えてがんばった、住吉重信君に卒業以来45年ぶりに会うことでした。
 クラス会の幹事が忘年会という名目で10名ほどに召集をかけ(住吉君も当然入っています)飯塚市内の居酒屋で飲んだ後、2次会では私の苦手なカラオケではありましたが、ともに歌い45年間の長い空白を忘れて楽しい時間を過ごしました。

 住吉君は高校卒業後、長崎大洋クラブ、三井鉱山のノンプロを経て、昭和36年に阪急ブレーブス(現・オリックス)に入団して、9年間プロで活躍した後は、故郷の福岡に帰り、現在はゴルフや高校時代のクラスの仲間と山登りなどを楽しんでいるとのことで、野球との関わりは絶っているとのことでした。

 今回の帰郷は先にも述べたとおり、体を休めることの他に、上記3つの大きな目的がありましたが、積極的にアタックした結果、すべての目的を果たすことができ意義ある故郷への旅となりました。
 長年月に亘る喰田先輩の野球に対する実績と経験、また情熱ある野球への想いなどを直接聞くことができたことは、私にとって今後の野球に対してのよい指針となりました。

 次に茨城県の高校野球について少し触れておきます。
 昨夏の全国高校野球選手権大会で、茨城県代表の常総学院高校が優勝を飾りましたが、地区予選の県大会決勝戦で藤代高校に勝って甲子園出場を決めたあと、木内監督は甲子園での大会を最後に引退すると表明され、結果として全国制覇を果たし、有終の美を飾っての引退となりました。

 木内監督の後任には、県立藤代高校を退職された持丸修一監督(母校の龍ヶ崎一高の監督を20年間務め、2度夏の甲子園出場、藤代高校でもセンバツで2度甲子園出場)が、夏の大会後から指揮を執ることになりましたが、今春のセンバツの予選でもある茨城県秋季大会準々決勝戦で、ノーシードで県内では全く無名の水城高校に接戦ながら3−4で敗れ、この時点で常総学院高は今春のセンバツ出場の夢は断たれました。

 持丸監督の常総学院でのデビューは苦いものとなりましたが、茨城県内でも名将の一人でもあり、この屈辱を跳ね返し復活を期待しています。

 秋季県大会の決勝戦は土浦湖北高校が下妻第二高校を5−3で破って県大会初優勝を飾り、その勢いに乗って埼玉県で行われた関東大会でも優勝し、センバツ出場を確実にしました。
 茨城県の高校野球は、常総学院校を筆頭に県南地区に強豪校が集中している競争の中から、関東でも誰もが認めるトップレベルの実力県となりました。  

 今後も茨城県の高校野球は、常総学院高校を中心に動いて行くことになると思われますが、打倒常総学院を目指す他校の挑戦も見逃せず、実力伯仲の白熱した好試合が当分続くことになると思います。



 以下は、私の2003年度・380試合の審判活動の中から、拾い出した記録の一部です。

★ (1)試合に携わった大会

  <東京都>
 サタデーリーグ・都心リーグ・アークカップ杯・関東草野球リーグ・東部個人タクシーリーグ・三栄リーグ・北都リーグ・東部リーグ・日個協大会・ハイタクリーグ・城北リーグ・東京都専門学校野球大会(春・夏・秋)・第9回全国専門学校野球選手権大会(硬式)・GBK大草野球大会
   
 <千葉県>
 冠杯大会・マリンカップ杯・STBリーグ

  <茨城県>
 伊奈町ライオンズ杯少年野球大会・伊奈町スポ少野球秋季大会・伊奈町長杯近隣少年野球大会・伊奈町長杯近隣中学校野球大会・筑波郡中学校総体野球大会・筑波郡中学校新人戦・常総広域圏高等学校野球大会・第47回高松宮賜杯大会2部・常総地区市町村職員野球大会・常総地区消防職員親善野球大会・伊奈町秋季野球大会・伊奈高校の対外練習試合

★(2)都県別使用球場
 <東京都>
 多摩川ガス橋緑地・西新井橋緑地・光ケ丘公園・猿江恩賜公園・夢の島・月島球場・東綾瀬公園・私学共済事業団野球場・谷中公園・小松川河川・鹿骨公園・浜町運動場・大井海浜公園・南千住グリーンセンター・平野公園・大田スタジアム・品川区青空野球場・上沼田公園・世田谷砧河川・千住新橋河川・東京ドーム・江戸川ライン・江戸川河川・神宮球場

 <千葉県>
 古ケ崎河川・湖北台公園・流山河川・流山運動公園・十余二工業団地・酒井根 公園・東実健保・紙商健保・我孫子市利根川河川・我孫子市民球場・松葉町公園・柏市総合運動公園・野田市福田公民館野球場・八千代市萱田公園

 <埼玉県>
  吉川河川・吉川旭公園球場・大宮健保・八潮北公園・サンケイスポーツセンター・草加工業団地

 <茨城県>
  伊奈町運動公園・伊奈高校・常総広域圏野球場・土浦市営球場

★(3)試合の内訳

    少年野球大会関係 ・・・・ 8試合 ( 2.1%)
中学校野球大会関係 ・・・・ 17試合 ( 4.5%)
高等学校野球関係 ・・・・ 12試合 ( 3.2%)
全軟連大会関係 ・・・・ 1試合 ( 0.0%)
伊奈町連盟大会関係 ・・・・ 10試合 ( 2.7%)
タクシーリーグ ・・・・ 76試合 (20.0%)
アークカップ杯 ・・・・ 30試合 ( 7.9%)
関東草野球リーグ ・・・・ 79試合 (20.8%)
STBリーグ ・・・・ 43試合 (11.1%)
サタデーリーグ関係 ・・・・ 22試合 ( 5.8%)
冠杯大会 ・・・・ 3試合 ( 0.1%)
常総広域圏高等学校野球大会 ・・・・ 2試合 ( 0.1%)
GBK大草野球大会 ・・・・ 12試合 ( 3.2%)
東京都専門学校野球大会 ・・・・ 55試合 (15.0%)
その他 ・・・・ 10試合 ( 2.7%)

★(4)都県別試合の内訳

   東京都  ・・・・ 173試合(45.5%)
   千葉県  ・・・・ 104試合(27.1%)
   埼玉県  ・・・・  53試合(13.9%)
   茨城県  ・・・・  50試合(13.2%)

★(5)1人制〜4人制審判の内訳

   1人制  ・・・・ 168試合(44.2%)
   2人制  ・・・・ 136試合(35.8%)
   3人制  ・・・・  14試合( 3.7%)
   4人制  ・・・・  62試合(16.3%)

★( 6 )1人制〜4人制審判における球審・塁審の担当内訳

   1人制  球 審(165試合)

   2人制  球 審( 61試合)・一 塁(69試合)・指 導( 3試合)
    
   3人制  球 審(  5試合)・一 塁( 4試合)・三 塁( 8試合) 

   4人制  球 審( 43試合)・一 塁( 6試合)・二 塁(10試合)
   ・三 塁( 6試合)

★( 7 )月別試合の内訳

   1 月  ・・・・   4試合( 0.1%)
   2 月  ・・・・   1試合( 0.0%)
   3 月  ・・・・  23試合( 6.1%)
   4 月  ・・・・  40試合(10.5%)
   5 月  ・・・・  54試合(14,2%)
   6 月  ・・・・  45試合(11,8%)
   7 月  ・・・・  36試合( 9.5%)
   8 月  ・・・・  40試合(10.5%)
   9 月  ・・・・  44試合(11.6%)
  10 月  ・・・・  46試合(12.1%)
  11 月  ・・・・  40試合(10.5%)
  12 月  ・・・・   7試合( 0.2%)

★ ( 8 )主要大会決勝審判出場の記録


7月 1日(火)東京都専門学校春季大会決勝戦       :大田スタジアム
7月31日(木)全日本専門学校野球選手権大会決勝戦(硬式):大田スタジアム
9月17日(水)東京都専門学校選手権大会決勝戦      :東京ドーム
11月28日(金)東京都専門学校秋季大会決勝戦      :神宮球場

★(9 )連続試合出場の記録

5月22日(木)〜6月1日(日)の連続11日間(29試合)

★ ( 10 )1日最多試合審判の記念

4月20日(日):関東草野球リーグ(柏 市・十余二工業団地)5試合
7月27日(日):関東草野球リーグ(野田市・福田公民館G) 5試合

★(11 )平成15年・ベスト試合3
 
1)11月14日(金):東京都専門学校秋季大会・準々決勝戦(東綾瀬公園)
            試合時間2時間55分・球審・古川、塁審・平田、境野

   東京福祉・体育専門学校 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1  1
   東京スポレク専門学校  0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2  2
    *9回を終わって0−0、延長11回でも勝敗つかずサドンデスにて決着。

2)9月14日(日):アークカップ杯1回戦(埼玉県吉川河川G)
     
   佐川急便千代田   1−0  S B C  試合時間:1時間30分

3)4月20日(日):関東草野球リーグ特別1部(柏市・十余二工業団地)

   和名ケ谷フレンズ  0−0  エンドレス  試合時間:1時間36分

★( 12 )平成15年・ワースト試合3

1)11月3日(祝):サタデー外練習試合(千住新橋河川G)
  試合時間:1時間42分(5回裏時間切れ)

    スクエアー 
ステンガー 15 6X   27
    *1回裏無死で11連続得点、無死走者1・3塁で投手交代

2)8月21日(木):東京都専門学校選手権大会2回戦(東綾瀬公園)

  東放学園 12−11 日本指圧      試合時間:2時間35分

3)10月7日(火):城北タクシーリーグ(上沼田公園G)

  日の丸  11−10 正 和       試合時間:2時間10分
  
★( 13 )1試合最多得点

  11月3日(祝)27−3(5回):千住新橋河川G・サタデー外試合
  9月10日(水)25−0(4回):谷中公園G ・北都タクシーリーグ
  5月23日(金)24−0(3回):東綾瀬公園G・東京都専門学校春季大会

★( 14 )1イニング最多得点(15点:1回裏)

  11月3日(祝):ステンガー対スクエアー戦・千住新橋河川G
  
★( 15 )最長イニング試合(12回)
 
  11月14日(金):東京スポレク専門学校対東京福祉・体育専門学校

★( 16 )最短イニング試合(1回3分の1)

  10月13日(土):キングベーターズ対ROB戦(STBリーグ)・松葉町
          (2回表1死1・3塁で豪雨ノーゲーム)

( 17 )最長試合時間(3時間23分:延長12回)

  11月17日(月):東綾瀬公園
東京スポーツリゾート専門学校対東京体育専門学校戦

★( 18 )最短試合時間(56分:5回コールド)

  3月23日(日):アークカップ杯大会(吉川河川G)
     チョットチガウゾチームの勝利

★( 19 )昭和52年〜平成15年(27年間)の大会別審判活動及び累計
 
    伊奈町野球連盟大会 (27年) 333試合
軟式野球連盟大会 (26年) 70試合
高校野球公式戦 (11年) 43試合
伊奈高校練習試合 ( 8年) 143試合
伊奈高校外練習試合 ( 7年) 38試合
伊奈町少年野球大会 (20年) 94試合
伊奈町中学校大会 (16年) 138試合
常総広域圏少年野球大会 (14年) 15試合
常総広域圏中学校大会 (21年) 54試合
常総広域圏高等学校大会 (22年) 62試合
明治神宮外苑審判協会 (11年) 2124試合
北都審判クラブ ( 8年) 979試合
東京都専門学校大会 ( 9年) 354試合
サタデーリーグ関連 ( 9年) 124試合
STBリーグ関連 ( 4年) 141試合
その他 ( 9年) 98試合
総 計 4810試合



 2003年度・私の審判活動のまとめは上記のとおりですが、2004年度のシーズンは果たしてどのような道を歩いて行くことになるのでしょうか。

 私は昨年秋まで東京北部でタクシーリーグを主な活動の場としていた審判クラブを去りました。

 私も育ちは全軟連出身(現在も在籍)で1級審判員の資格も持ち、明治神宮外苑審判協会では11年間に亘り基礎から勉強し、夏の高校野球選手権茨城県大会の審判員も務め、ある程度の審判技術は身につけているつもりですが、それでも審判活動を続ける限りは死ぬまで勉強が私の持論です。 
 部員の高齢化や審判技術に対し努力を怠るようなクラブは、やがて淘汰されることでしょう。 
私にとって残り少ないと思われる審判活動を、技術が競い合えるような環境の中のクラブで、最後に燃え尽きることができれば本望だと思っています。

 また、少年野球、中学校野球、高校野球、町の連盟主催大会など地元の審判活動にも、今まで以上に目を向けて行きたいと思っています。

 2003年を終わって審判活動27年、通算試合は4810試合となり、最終目標の5000試合まで、あと190試合となりました。
2004年度中の達成を目指します。

 多くの夢を抱きながら、2004年が静かにスタートしました。
 私の、今年の審判活動の第1戦は、1月18日(日)葛飾区総合スポーツセンター(12時〜14時)で、立石サーティーズさん主催の試合です。 
 新年早々の試合は、昨年同様サタデーリーグ会長の臼井さんにお願いして組み入れていただきました。

 私にとって波乱の年であることが予見されますが、人生は闘いである、が私の人生哲学です。持ち前の根性で何事にも負けずがんばります。

 最後に、2004年度の野球関係皆様のご健闘をご祈念申し上げます。

(2004年1月1日)



「サタデーリーグ」トップページへ
前ページへ