「サタデーリーグ」トップページへ
前ページへ

それは 銭湯から始まった


小濱 三成審判員

 草野球の審判で「ストライクスリー」とコールした声に、甲子園を目指す高校生の純真な瞳が返ってきたときことを思い出した。
 二度と審判をやるものかと心痛めた若き「代役審判」の頃がありました。

 勤めの傍ら、高野連(日本高校野球連盟)・全軟連(全日本軟式野球連盟)などに所属しアマチュア審判を続けました。その後神宮審判協会には、20数年の長期にお世話になったのです。

 その間、元セリーグ審判部長の富沢 宏哉氏などとアメリカのジム・エヴァンス・アカデミー・オブ・プロフェッショナル・アンパイヤリングに度々渡米し学びました。

 アリゾナ州、フロリダ州ではUDCの平林氏、内川氏やセリーグの井野氏などに大変教訓を頂き乍、今日に到って参りました。

 近年、第一線から退き時々高野連へのお手伝いをする程度でしたが、昨年の今頃、MBUA高橋副会長から何とかやりましょうとお誘いを頂きました。

 彼とはジム・エヴァンスに学んだ折に隣町とのことで友情を温めている程度でしたが、ご自宅を訪問した折、お話の中で、高橋氏が「草野球審判やります」と銭湯に張り紙をしてきた経緯を聞き、また「野球審判に必要ならば・・・」と説明があり、この一言に私は心を打たれたのでした。

 その熱意、当協会発展への真摯な努力、その心掛けが如何に大切で必要なことか、
「ヨシ、やらせて下さい」
「やりましょうー」

 後、何年やれるとか、今後、幾試合やれるか全くわかりませんが、やる以上全力でやり抜き、いつの日か近い将来に「元祖・草野球審判協会」を越える組織・MBUAになって欲しいと念願する次第です。


(2007年3月1日)


「サタデーリーグ」トップページへ
前ページへ