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郷司 裕氏との思いで


小濱 三成審判員

 かつて、都市対抗・社会人・東京六大学・日本高校野球連盟理事などで、常に審判員の中心的存在でありました郷司裕氏が昨年2006年12月病気のため(享年74歳)他界されました。

 氏には様々なエピソードがありますが、特に1969年夏の甲子園、松山商業対三沢高校の史上初の決勝引き分け再試合を決勝戦と共に球審をされたことが、思い出されます。

 昨夏の甲子園が、あれから37年振り2度目の決勝引き分け再試合に沸いたことで、そのことがさらに印象深くなったのです。まさにアマチュア野球審判界の雄でした。

 私にとって最も印象深い想いでは、昔或る会合の席上、私の発言に対する彼の反応です。それは次のやり取りでした。

 私「日本の野球審判も球審は、インサイド・プロテクターにする時期ではないですか?」と意見具申したところ。

 郷司氏曰く「何を云うか、球審が逃げ腰でどうする。座布団(アウトサイド・プロテクター)が前面にあってこそ正確な判定が出来るのだ」と真剣な面持ちで激怒されたのです。

 要するに「軽率で生半可なことするな」ということでしたが、それから1年も経たないうちに、プロ・アマ共に全てインサイド・プロテクターに変わりました。

 郷司氏の当時の言葉は「審判員たるもの、プレーの状況にマッチしない独善的な演技過剰は、喜劇的で周りの人々の失笑を買うことにもなりかねない。」
 勝負ジャッジへの良き教訓だったのかも知れません。

 彼の精神を受け継ぎながら、日本の野球審判も進化して行くところを天国から見ていて欲しいと、ご冥福をお祈りするばかりです、合掌。

参考ニュース
 元高野連理事の郷司裕氏死去
 高校野球の名審判、郷司裕氏死去


(2007年3月15日)


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