審判員の 背中 背中画像
□□ 臼井淳一審判員 □□


【20】 さらば長島!
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 先日、このようなメールを頂きました。
 長島・巨人軍名誉監督が元気な姿を読売本社に渡辺元オーナーを訪ねました。ナベ恒を訪ねた事が嬉しいのではないですが、長島さんの回復をした姿が嬉しいのです、又元気に何かをやってくれるのではないかと、今度こそ北京に行って頂きたいですね。お体を大切に又プロ野球が好きになってきました。


 それに対して私は『長島名誉監督があの悪名高いナベツネと会談していますね。あまり感心しません。何時まで長島人気に頼っていたので、日本のプロ野球は発展しないと思いますね。笑い』と返信しました。

 長島茂雄が現役を引退したのは1974年の10月14日です。今から30年前です。そのころ10才の子ども(1964年生まれ)がテレビ・球場で長島のプレーを観ていたとしても、現在40歳以下の人はプレーを観ていない人が圧倒的に多いのです。

 長島茂雄の最盛期を観た人は、60歳〜70歳前後の人たちが圧倒的だと思います。
 20年ぐらい前までは、草野球の三塁手は「サード長島の真似」をするプレーヤーが多くいました。最近は全く見かけません。

 この30年間「長島人気」に日本のプロ野球とスポーツ・マスコミは頼っていたのは事実です。
 長島茂雄氏は現役を辞めても確かに「華のある人」でした。野球ファンを楽しませる「野球監督」をやっていたと思います。

 けれども「将来の日本プロ野球」のことを考えてやってきたかと思いますと、「疑問」に思うことがあります。

「巨人軍は永遠に不滅です」。引退の言葉としては最高だったと思います。問題はそれ以降です。「巨人軍は永遠に不滅です」ではなく、「日本プロ野球は永遠に不滅です」の立場をもう少し堅持してほしかったと思います。

 今回の渡辺恒夫氏との会談(報告)は、私はおこなって欲しくなかったです。渡辺氏は日本のプロ野球を「ガタガタ」しようとした張本人なのです。これからもあれこれやると思います。渡辺氏とは「おさらば」して欲しいと思います。

 長島ファンの私には「さらば長島」を書くのは断末魔の思いですが、やはり「さらば長島」です。どうぞ「北京オリンピック監督」などやらないでください。また、球界のオーナ、コミショナーなども間違ってもやらないでください。
「能力」がないとは申しません。これからの球界のために若い人に任せてあげてください。

「あのプレーはですね。こうすればいいですね」と静かにラジオで解説していてください。
 さらば長島!

(注・嶋は《島》にあえて統一しました)


(2004年10月15日)


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