【5】「審判修行」への道
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 ダイナミックリーグ(水曜)が盛んになりますと、社内でも野球リーグを作ろうということになり各職場チームが結成されることになりました。

 私は、直接には関りませんでしたが、ホームグランドが明治神宮外苑絵画館前の野球場のため「審判依頼」を神宮審判協会にお願いいたしました。これは現在でも引き継がれております。

 この時期(1985年)は平日のグランド確保も画館前の野球事務所前に並びました。現在は比較的簡単に確保できるそうです。
 
 このグランド6面には、日の丸、ヒマラヤ、桜、ケヤキ、コブシ、大銀杏と命名されております。

 40数年前に会社に入社して初めてのメーデーに参加しました。その時のメーデー会場が今の野球場だったことを覚えています。この絵画館前野球場ができたのは東京オリンピック以降ではないかと思います。

 話があちこちへ飛んでしまいましたが、その後ダイナミックリーグはチーム数が減り、また、各チームの中心選手が会社の移動などにより、自然消滅のように形になり、練習試合を細々と続けていくようになりました。

 私自身も審判活動、息子のリトル・シニアの応援にエネルギーを取られるようになりました。とくにシニアの応援には「熱」が入り、毎週のように父兄同伴で遠征試合の応援。時にはシニアの審判までやらされました。そして試合の後は父兄との楽しい飲み会が延々と続くのです。

 自分の息子が投げたり、打ったりする姿を見ているのは、胸がどきどきいたしますが、親子でこの時期を過ごせたことに幸せを感じました。

 そしてシニアからさらに高校野球へと息子の野球応援がエスカレートしていくのであります。この5年間は私にとっては私設リーグの「空白」を作ってしまいましたが、「形」だけは残して置いて、その後の私設リーグへと繋がっていくのであります。


 (2005年4月1日)


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