スポーツ博覧会
スポーツ・ライター 玉木正之


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 ■13 「大相撲八百長」騒動の結末は?

 大相撲の「八百長騒ぎ」が収まらない。
 過去にも何度か週刊誌に騒がれたが、今回は携帯メールという証拠が残され、テレビや新聞にも取りあげられ、相撲協会も「八百長はない」と「建前」を繰り返せなくなった。が、少々納得できない点もある。
 それは、メディアに登場する元力士やベテラン相撲記者たちが、「八百長」の存在を初めて知ったかのように驚き、声高に非難することだ。
 私のように相撲の取材経験が多くないスポーツライターでも、この程度の「星の売買や貸借」は知っていた。
 ただし「八百長」と言わず、「出来山」(両力士が勝敗を仕組んだ一番)、「盆中」(いわゆる片八百長)、「中盆」(その仲介者)、「気負け」(片方の力士が真剣勝負を避ける)、「人情相撲・情け相撲」(片方が相手の事情をくんでわざと負ける)などと呼ばれる相撲があると聞いていた。そして毎場所同じ相手と顔を合わせるなら「情」も入り込み、取り引きも生じると思っていた。
 大の相撲ファンだった子供の頃にも、「これは出来山だな」と、大人たちが囁(ささや)き合う一番があることを知っていた。が、どんな事情があろうと、強い力士が横綱三役になり、弱い力士は下位に止まる。なかには「星の売買や貸借」を乱用する情けない力士もいるが、「ガチンコ」だけで横綱まで登る素晴らしい力士もいて、それは我々の社会と同じことであり、それが大相撲である、と思っていた。
 大相撲はスポーツ(格闘技)にとどまらず、大地を四股で踏み固め五穀豊穣を祈る神事でもあり、相撲甚句や初っ切りを伴う芸能でもある。
 そんな大相撲の「八百長」だけを非難しすぎると「角を矯めて牛を殺す」ことになりかねない。
 二千年の日本の相撲文化は破壊しないでほしいが…。


(「損保のなかま」2011年4月1日付より)


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