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 ■16…認知不協和解消
   現代社会の映し絵としてのプロ野球

 先月号で巨人ファンはタテマエ(プロ野球界のあり方を平等・公平に)とホンネ(巨人中心主義的秩序の維持)の間で起きるはずの葛藤(認知不協和)をどのように解決しているのか、という問題提起をした。
 これに対する解答として「巨人ファンは頑迷で人の意見を聞かない人たちだからだ」という乱暴な見解を期待する向きがあるかも知れない。だが、アンチ巨人ファンにとっては残念だろうが、巨人ファンは決して唯我独尊の頑固な頭の持ち主ではないということが、「調査」の結果わかっている。
二岡選手は、期待通りに活躍している数少ない一人だ。
 「調査」では自分のパーソナリティに関する質問として「あなたは上司や先生などの指導内容が自分と食い違ったとき、どんな態度を取りますか」と聞いた。 それに対する回答「批判的に受け入れる」は、巨人ファンと他球団ファンの間でほぼ同比率。有意差は認められなかった。
 そして「自分の考えを改める」と答えた人は、他球団ファンより巨人ファンの方が二倍近い数値を示したのである。つまり、巨人ファンは他人の意見に耳を傾ける柔軟さを持っているということがいえる。(反面、このデータは「巨人ファンは権威に弱い」ことを示すものでもある。そのことについては後述することになる)
 さて、本題に戻る。社会学者のフェスティンガーが体系化した「認知不協和の理論」とは、次のようなものである。
 人は認知要素(知識)間に矛盾した関係が生じると、それを解消して協和的関係を作り出すように行動や態度変化を起こす。たとえば、喫煙者は自己の喫煙行為の認知と、たばこ肺がん説との不協和を解消するため、たばこ肺がん説を否定する、などである。
 では、巨人ファンはタテマエとホンネの矛盾をどのように解消するのだろうか。
 巨人ファンは、プロ野球の世界を純粋なスポーツの世界から「自由競争・企業努力が報いられる世界」へ移し変えるのである。つまり、プロ野球の土俵自体を「巨人中心主義」的秩序と矛盾のないようにリセットするのである。巨人ファンは、競技者を可能な限り平等の条件下におくというスポーツ一般の普遍的ルールのもとにプロ野球を置かない。さまざまな不平等や不正がまかり通る、弱肉強食の現代社会の映し絵としてプロ野球を捉えることにしているのである。

(「損保のなかま」2003年7月1日号より転載)


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