作・臼井 淳一

  [ 1 ]バブル崩壊後の転機
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 先日、近所の鶴見川遊歩道を散歩しておりましたら、顔見知りの人から話しかけられました。
「あんな立派なお屋敷に住んでいても、来月には出ていかないといけないのですよ」と。

 よーくお話を聞きますと、10数年前の「バブル景気」の時に、銀行から土地を担保に数億円貸しつけられ、畑を宅地造成しましたが、何年間も許可・認可が下りず、そのままずるずるときてしまい。前にも後にも引けず、結局のところ自宅まで手放す羽目になってしまった。とのことらしいです。
 また10数年の間に「相続問題」「銀行とのあつれき」で、家族がバラバラになってしまい。バブル崩壊の影響をまともに受けたのです。

 まぁ。よくある話しといえばそれまでですが、それにいたしましても、財産が「億単位」である人ほど、「バブル」のつけが今になって跳ねかえってくるのですね。

 振りかえって、わたしは「バブル時期」はと思い出してみました。
 亡き母から「家を別な場所に建て替えるから越してこないか」、「群馬県の方に別荘を兄弟で買わないか」、「株をやらないか」と話しがありましたが、すべて「面倒」だからという理由で断りました。
 実現したことは新車を買い。借地に小さな子ども部屋を新築したぐらいです。このころは、子どもの教育費が大変でお金の余裕もありませんでした。

 バブル景気も終わりに近づいたころ、わたしにも転機が訪れました。30年も現場一筋を続けてきたわたしに、上司から「営業へ行ってみないか」という話が舞い込んできました。

 わたしは、ここではあまり深刻に考えないで「えいやー。行ってみるか。どうせ定年まであと10数年。華の営業とやらを体験しておくか」と軽い気持ちで一発でOK。
 まぁ。学生時代はわからないテスト問題は、エンピツ転がしての正解確立は50%でしたので、それほど抵抗はありませんでした。

 それよりもラッキーだったことは、このころ急速に普及したワープロ〜パソコンのおかげで、字がへたくそ、計算苦手のわたしには「百万の味方」でありました。自費で仕事のために、ワープロ〜パソコンを購入することになんの抵抗もありませんでした。(本当は野球リーグのためでもありました)。

 わたしは、自分のできないこと、苦手なこと、それを「簡単に解決」してくれるパソコンに大きな魅力を感じ、覚えることがそんなに苦にはなりませんでした。
 回りの人間には、かなりの迷惑をかけたと思います。「この人は利用できる」と思いますと、だれかれとかまわずにパソコンのわからないことを聞きに回りました。

「聞くはいっときの恥じ。聞かないのは損。損。大損」…トーマス・エジソン。

(2003年2月1日)


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