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第一章 子どもあっての小沢実践「エントツ」とその朱筆

(1)

 

●小学生の日記と手紙 五年生(小峰書店)より
 ごあんしんください

 
 病気のときにうけとるお見まいの手紙が、どれほど心をなぐさめてくれるものか、考えてみたことがありますか。
 あかちゃんのとき、おとうさんをなくしてしまった同級生の浅沼くん。こんどは、そのおかあさんが入院してしまったのです。むねの病気がすすんでいることを知りながらはたらきぬき、起きあがれなくなってから入院したのでした。
 そこへ「おばさん」とよびかけて、手紙をだしたのです。どんな手紙でしょうか?

(編集部)



【おとなのひとへの手紙】

横浜市生麦小学校 松尾英里子
【小沢先生の赤ペン評】

 おばさん、そのご、ぐあいはどうですか。
 浅沼くんは、おばさんが入院してからも、とても元気です。金語楼のような、ほがらかな顔をして、勉強や、運動に、はげんでいます。
 浅沼くんは、そうじのときも、とてもねばり強く、さいごまでちゃんとやりぬきます。
そう、金語楼のお孫さんみたいな伸二くんですね。
 なにしろ、一年生の当番は女の先生で、とても気むずかしい人です。だから、よっぽどまじめでないと、しかられます。でも、浅沼くんは、しかられないどころか、よく、
「えらい、よくはたらく子ね。」
と、ほめられています。浅沼くんは、かた手に、たわしをもち、ろうかの、すみからすみまで、ゴシゴシみがいてくれます。
ハッキリした、松尾さんらしい書きぶりです。
こういう時こそ「どころか」ということばを使うのです。
おばさんに、安心していただけるコトバですね。
片かながうまく使えました。
 それからね、おばさん。私、浅沼くんのおにいさんを、よく知っています。
 私が仲通りにお使いにいくと、よく、おにいさんにあいます。私が、「オッス。」というと、おにいさんも、ニコニコしながら、
「オッス!」と手をあげてこたえます。
だれともつき合いの良い、松尾さんらしい書き方。
ハハハ……いよいよ松尾さんらしいですねえ。

この「!」きき目があります。
 おにいさんは、いつも出前にいくとき、かた手に、すし入れをもち、オートバイにのり、
「いってきまーす。」
とハリキッテいます。
おばさん、どれほど、安心なさることか。
浅沼くんに、よくにていますね。ちっとやそっとのことに、へこたれませんね。
 また、私の家に、おすしをもってくるとき、いつも、
「毎度ありがとうございます。」
と、あいきょうよくげんかんをでていきます。
「また」の使い方もじょうずです。松尾さんとこも、「中の見ずし」びいきなのですね。
 それからね、おばさん。そういうとき、私は、先生が、
「浅沼のあにきはな、鶴工(鶴見工業高校)から帰ってくると、すぐすし屋へアルバイトにいく。十時におわる。十二時すぎまで勉強をやる。朝、学校へすっとんでいく。えれえあにきだ……。」
と、話してくれたことをおもいだします。
この「ね」。話ずきで、心のやさしい松尾さんらしさがいっぱいです。
このコトバ、よく書けました。
「……」から、先生の表現まで浮かんできます。
 おばさん、浅沼くんのおにいさんのことは、先生だけでなく、うちのおかあさんも、近所の人たちも、みんな、
「ほんとにえらい子だねえ……。」
と、感心しています。

おばさんに安心していただこうという、やさしい心が、こぼれおちてきます。
 このあいだ、わたしが浅沼くんの家に、日記をかえしにいきました。そしたら、浅沼くんの愛犬メリーが、ワンワンほえているので、とても、おっかなくなって、げんかんの前で立ちどまっていました。すると、近くのおじさんが、
「あのイヌは、おっかなくないからへいきだよ。」
段落をかえて、今度は、何をお知らせするのでしょう?
と、やさしくいってくれました。私は、(浅沼くんの家のまわりにいる人は、みんな親切でいい人だな。みんなで、浅沼くんにやさしくしてくれているのだな)とおもいました。
ハハア、近所の人の親切さを、お知らせするのでしたか。
 だから、おばさん、少しも心配しなくてだいじょうぶですよ。ゆっくり、からだをよくしてから、生麦へ帰ってきてくださいね。
 では、おだいじに。またお手紙だします。さようなら

  七月七日   松尾英里子

おばさん、よけい安心してくださいますね。
浅沼くんのおばさんへ

(小沢 勲先生指導)

こまごまと書いてくれました。だから、松尾さんのおばさんへの心づかい、よくわかりますよ。

【評】
 たしかに、おばさんにとっては、おにいさんのことが一番気にかかることです。アルバイトしてまで高校へ通いつづけているのですもの。そのおにいさんのことを一番たいせつなこととして、松尾さんは、力いっぱい書きつづってくれました。五年女子として、りっぱな、心のこもった手紙です。
 




同じそのひとへ、こんどは浅沼くん本人が書いた手紙です。
子から母への手紙です。おしまいまで、よく読んでくださいよ。


【母への手紙】

横浜市生麦小学校 浅沼 伸二
【小沢先生の赤ペン評】

 ねえちゃんと、ねえちゃんの友だちといっしょに、おかあちゃんの病院にいってから、もう二週間になったね。帰るとき、おかあちゃん、マスクしながら、

手紙ですから、おかあちゃんに話しかけるような口調で書き出していますね。
「ねえちゃんのいうこと、よくきくんだよ。」
といったね。ぼくのえりをなおしながら、百円玉二つくれたね。
このコトバと様子に、おかあちゃんの心が、ギッシリつまっていますね。
 あのとき、ひさしぶりに、おかあちゃんの顔を見て、ぼくは、ひとりでに、なみだがでちゃったよ。おかあちゃんも、目を、しょぼしょとしていたね。ぼくは、あのときのことを、詩に書いたんだよ。そしたら、先生が、ろうかにはりだしてくれたんだよ。
そうでしょう。
そうでしょうとも。そうでしょうとも。
「しょぼしょぼ」という日本語は、こうした時にこそ、使うのです。
 おかあちゃん、ぼくね、おかあちゃんといっしょにくらせなくなってからも、ピンピンしているよ。
 このあいだ、岩井くんの詩を勉強していたとき、先生が、
「このぎょうで、なおしたほうがよいところあるか?」
ここで行をかえ、おかあちゃんに安心してもらえることを、書いていくのですね。
ときいたときにね、さっと手をあげたら、先生がさしてくれたの。こたえをいったら、先生が
「さっと」は、たいせつなコトバですね。
「よーし、いいぞ伸二。わかったの、おまえひとりだぞ。」
と、兵隊のような声で、ぼくをほめたんだよ。
先生のコトバと声。かあちゃんの心は、スーッと安らぎます。
 それから、こんなこともあったんだよ。先生が、教室にはいってからすぐ、
「おい、ちょっときくけど、男女区別しないでなかよくするやつ、だれだ。」
ときいたら、ぼくの名前がいちばん多かったよ。石綿さんたちが、
次の話に進めて行く。つなぎの文がじょうずです。「も」に、浅沼くんの心がこもっています。
「浅沼くんは、いつもニコニコしていて、体育のときなど、へたな人を、親切におしえてやったりします。」
なんて、ほめてくれたんだよ。ぼくね、テレくさくなっちゃった。
このコトバ、ウンと大事です。おかあちゃん、自信の上に、なおいっそう自信を重ねます。
 家ではね、おねえちゃんが六時に起きて、ご飯たいて、六時半に、ぼくを起こしてくれるんだよ。まだ、一日も会社を休んでいないよ。おねえちゃんは、会社の帰りに、夕方のご飯のおかずをかってきてくれるんだよ。

ここからは、段落をかえ、家のことを書いていくのですね。スースーねている伸二に、おかあちゃん、どれほど、安心することか…。
まだ一日」ですね。

 おねえちゃんが残業のときは、浜のおばちゃんが、ぼくのようすを見にきたり、夕方のおかずをもってきてくれたりするよ。
 あんちゃんも、ぼくとおなじで、学校、一日も休んでいないよ。アルバイトも十時ごろまで、ハリキッてやっているよ。それから、勉強も十二時半ごろまでやっているよ。『中の見ずし』が休みの日は、きょうだい三人で、夕方のご飯を食べるんだよ。ねえちゃんのごはんがおいしいこと、会社のこと、おかあちゃんのことなんかを話しながらたべてるんだよ。
おばちゃんのことも、書きましたね。おばちゃんの家に、おせわになっているのですものね。

あっさりした書き方だけど、おかあちゃん、なみだこぼして、安心なさるでしょう。あっさり書いたので、おかあさん、よけいに安心なさるかもしれないな。
 おかあちゃん、そういうふうに、三人とも元気いっぱいだから、安心して、はやくよくなってね。
 じゃ、またね。さよなら。

  七月六日   浅沼 伸二

 おかあちゃんへ

「そういうふうに」というコトバが、ピタリと使えました。
 あ、そうだ。ぼくといっしょに、お友だち四十三人の手紙がはいっているけど、いっぺんに読んじゃだめだよ。頭がいたくなるといけないからね。すこうしずつ読んでね。


「あ、そうだ」とつけくわえたところ、いかにもクラス一の元気者らしいです。おかあちゃん思いの浅沼くんらしいです。
【評】
 伸二くん。りっぱな手紙が書けました。りっぱなおねえちゃん・あんちゃんの弟、メソメソしないすえっ子の伸二くん、おかあちゃんおもいの伸二くんだからこそ、このような手紙が書けたのです。






ガリ版刷りの「エントツ」−−。
子どもたちの作品の下段に、小沢先生はひとつひとつ子どもたちへの深い愛情をこめて、「赤ペン評語」をしるします。子どもたちの気持ち丸出しの表現に、小沢先生も人間味丸出しの評語を被せていきます。



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