(8)まだまだお爺ちゃんはガックリこないぞ!
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 隣に住んでいる4歳の孫娘がパソコンを見ながら突然。
「今日は おじいちゃんとおふろにはいって とまるよ」と言い出しました。
 今まで何度となく「誘惑」しましたが、その度に「おうち かえる」と言われ、振られていました。

 さて、お風呂に入って、夕ご飯を食べたら「ねむく なちゃた」と言って、さっさと2階へ上がって行きました。

 1時間もしたら「おしっこー」と言って起きてきました。
 間の悪いことに息子(父親)がいました。「おとうさんと おうちかえる」
 これまた突然に言い出し帰ってしまいました。

 翌朝、幼稚園に出かける時に。
「今日も、おじいちゃんとお風呂に入って、泊まっていく」
「ダメ。おふろにはいらない とまらない」と振られてしまいました。

 自分のこども達の成長は客観的に見ることが出来ませんでしたが、孫の成長も「可愛い 可愛い」で客観的に見ることは出来ません。

「こどもは 社会の宝」とも言います。昨今では、親の教育、学校の教育だけに任せていられない社会状況になってきました。

「自殺の問題」「いじめの問題」これも親の教育・学校教育の責任だけではないと思います。

 今も、昔も忙しい親は忙しいのです。パソコン・ゲーム機を与えられるか。わたしのこども時代のように一日五円玉ひとつで過ごすかです。野原で遊べない環境が多くなっていることは確かです。

 こどもの頃、鶴見川へ投身自殺した水死体を見た記憶があります。その死体の恐ろしさにヘドを吐きました。こども心に自殺ほど怖いものはないと思いました。

「命の尊さ 命の大切さ」は今のこども達は、ゲーム感覚で「死」をとらえてしまう社会状況にあります。これはわたし達大人の責任です。

 せめて修学旅行には広島・長崎に行き、原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨を見てくる事を文部科学省は義務付けてください。

 わたしのこどもの頃は、戦後の復興で「平和の尊さ・命の尊さ」は今よりも叫ばれていました。
 朝鮮戦争(1950年〜 1953年・韓国と北朝鮮の国際戦争)が始まりました。7歳のわたしは「せっかく戦争が終わったのに なぜ?」と思いました。

「いじめ」と「自殺」を短絡的に結びつけてしまう傾向はよくないと思います。けれども50歳を過ぎた校長先生が「必修科目を教えなかった」「教え子の自殺」で自らが死を選ぶまで追い込まれるのは深刻な問題です。

 教育イコール受験。そしてエリートコースへの道。この道に外れたら落ちこぼれの「烙印」が押されます。これを改善しないで「国策に従う人間をつくる教育」ということで教育基本法改正案だけが一人歩きしています。

 この国の政策は「木を見て森を見ない」よりもひどく「木を見て森を育てない」のです。

 自分のこどもだけはなんとかなる時代は完全に終わりました。可愛い孫たちをなんとか「素直ないい子」に成長してもらいたいが、もうおじいちゃん個人の力ではどうにもなりません。

 今の「教育基本法」を「改正」するということは、戦前の明治時代につくられた「教育勅語」の下地にするように感じられて仕方がありません。

 教育勅語には、命の大切さも、人権や平等の大切さも書かれていません。戦後、新しい憲法のもとで効力を失い、国会で主権在民に反すること、国民の基本的人権を損なうものであることなどを理由に「排除」の決議がされました。

 歴史を戻そう、戻そうとするものに対して「鈍感」であってはいけません。


(2006年11月15日)


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