(18)さくらの記憶はありません
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 ハラ、ハラとさくらの花びらが静かに舞っています。多摩川に流れこむ小さな川面いっぱいに花びらが流れていきます。あぁ。詩が浮かんできました。



 さくらの記憶はありません

           詞・臼井淳一 曲・歌は来年3月予定(鬼が笑う)

1、 さくら さくら さくら
初めて見たのは いつだったのか 記憶にありません
だいだい 桜の木が どこにあったのか 
だんだん記憶力が 薄れてゆきます
さくらのように パット散って 生きたいものだ

2、 さくら さくら さくら
初めて見たのは いつだったのか 記憶にありません
そもそも 桜の木が 校庭にあったのか
どんどん物忘れが 激しくなります
さくらのように パット散って 生きたいものだ

3、 さくら さくら さくら
初めて見たのは いつだったのか 記憶にありません
めそめそ 桜の木が 泣いています
くるくると頭が まわります
さくらのように パット散って 生きたいものだ



 などといいながら「パット散らない」でわたしは64歳まで生きています。
 最近70歳過ぎて元気な人を見ますと「偉い」と思うようになりました。

 たったの6才のほどの違いですが、この違いは現代の6才違いとは違います。70歳の方たちは、こどもの頃に戦争という大人たちが行ないました影響を受けています。それぞれは違うと思います。

「お腹を空かした思い出」「肉親が亡くなられた思い出」等々たくさん体験していると思います。

 いや、もっと悲惨な体験をしているかも知れません。

 67歳になられる知人は、「北海道・富良野で育ったので、全く戦争があったことすら知らなかった」と言っていました。66歳の方は「東京大空襲で母に抱かれ逃げまどったことを鮮明に覚えている」とのことです。

 先日「語りつぎ お話・絵本・せんそうって なんだったの?」(発行・学習研究社)の本を知人から頂きました。この本の中で知人の伯父さんが「白いおにぎり」という題名でフィリピンでの戦争体験を書かれています。

 本の中で、フィリピンから日本に引き揚げた港が、長崎県・佐世保港である事を知りました。わたしは「岸壁の母」の歌で有名な京都・真鶴港に以外に引き揚げ港があったことを改めて知りました。

 全く偶然ですが、先月の九州旅行で佐世保港の近くで、引き揚げ者「記念碑」を観ました。苦労して引き揚げてきましたのに日本に着いた途端に亡くなられた方もいたそうです。





 九州の友人の話では、まだまだ「引き揚港」はほかにもあるそうです。「知らなかった」ということは恥ずかしいことです。

 日本が過去に戦争をやったということも、だんだんと風化されつつあります。現在の70歳台の方たちがあと10数年も経ちますと「戦争体験」を語り継ぐ人たちが少なくなります。

 学校の社会の教科書も史実をきちんと伝えなくなりつつあります。これを読まれています若いお父さん、ぜひお子さんの教科書をぜひ見てください。

3年前に「韓国・歴史と文化の旅」をしたとき。
 http://www.mbua.net/usui/otoko/otoko-010.html
 http://www.mbua.net/usui/otoko/otoko-011.html

 ソウル市内のあちこちに、日本が侵略戦争をした模様を壁画で残している公園が多くあることに驚かされました。
 ソウル郊外には蝋人形を使って、日本軍が朝鮮の人たちへの拷問の模様、反日運動の当時の模様を残している記念館も観ました。

 さすがに豊臣秀吉の「朝鮮侵略記念館」には驚かされました。

 嫌な歴史というものは忘れがちになります。それをしっかりと残すことも大切ではないでしょうか。 


(2007年4月15日)


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