横丁の思い出 横丁の思い出


(11)横丁の思い出
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 巴 清が育ったのは鶴見川の河口です。東京湾がすぐ近くに見えます。昭和30年代ごろまでは「東京湾・情報交流圏」見たいなものが成り立っていました。

「東京湾・情報交流圏」とは東京湾内で暮らしを立てている人の交流の場です。例えば千葉県・内房の漁師から「縁談話し」を持ち掛けられたりして、親戚の輪が広がっていくのです。

 都内の東京湾に沿った区内をはじめ、神奈川県・三浦半島からも魚場を通じて交流がありました。


鶴見川の河口付近
 鶴見川の河口付近


 けれど河口付近で釣ったハゼや小魚が「臭くて」食べられなくなる頃には「東京湾・情報交流圏」は、東京湾での漁貝類での生活できなくなり自然消滅していきました。

 清の住んでいました生麦は、江戸時代のさかのぼると「生麦浦」と呼ばれ、将軍の食べる魚を1カ月に3度ずつ献上し、御用船の曳き船などの役を引き受けるのとひきかえに、江戸湾内で自由に漁業をする権利を認められていました。

 また、生麦浦は江戸日本橋の魚問屋から魚具や船に必要な資金の融資を受け、漁獲物はすべて江戸日本橋に送られていた。つまり日本橋の問屋の支配下に入っていたのであります。(鶴見区のホームページ参照)

 今、放映されていますNHK大河ドラマの「篤姫」。その中で、薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)の弟・島津久光が、後に東海道「生麦」を大名行列で通るところ、イギリス人4名の馬と狭い街道で鉢合わせしてしまい、そして薩摩藩士が殺傷事件を起こしてしまいます。これが「生麦事件」と言われています。

「生麦事件」がおきた場所が清の生家のすくそばです。街道沿いに昔から住んでいる人は、皆さん「すぐそば」と言っています。それは「事件」が起きてイギリス人が逃げ惑う距離が生麦では1キロ以上あったからです。

 この「生麦事件」がその後、国家間の賠償問題から薩英戦争にまで発展して、日本外交に大きな影響を与え、明治維新と大きな係わりを持ってきます。吉村昭著「生麦事件」を読まれると面白いです。

 京浜急行の生麦駅で下車して、生麦事件参考館を見学して(無料)さらに、キリンビール生麦工場を見学し(事前に申し込めばビールが飲めます。必ず045-503-8250へ生麦工場見学と申し込むこと)、そして国道駅までほろ酔いで歩き、近くのお寿司屋さんか、焼鳥屋さんでちょいといっぱい飲めば最高の一日となります。

 今回は清の故郷の歴史と「穴場紹介」をさせていただきました。


(2008年2月1日)


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