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[20]老人と犬


 わたしの子どもの頃は、犬や猫は「死期」が近づきますと、勝手にどこかに消えてしまったように思われます。事実、10数年前に自宅で飼っていました老犬が「行く方不明」になり、家族は大騒ぎしましたが、わたしはそんなに驚きませんでした。利口な犬や猫ほど飼い主に最後は「迷惑」をかけないようにいなくなると思っていました。

 最近、犬の散歩を観察しておりますと、とても「老犬」が多いのです。中には後ろ足が不由で腰から紐で吊り上げて散歩しています。また、歩行(人間並み扱い)が遅く、ヨタヨタとよだれをたらしている老犬も見かけます。

 もう少し「観察」してみますと、犬を散歩している人が、高齢者が断トツに多いのです。犬も人間も「高齢化」が進んでいるのではないでしょうか。

 わたしたちの子どもの頃は、犬の散歩は子どもと決まっていました。これは少子化現象の現れでしょうか。それとも子どもがあまりにも「忙しい」のでしょうか。

 それに子どもを「つくらない」若い夫婦が、犬を3匹も4匹も連れての散歩も多いです。やはり「子育て」より「犬育て」の方が「手間」もかからなくていいのでしょうか。なんのために結婚したのかわたしには理解できません。

「犬猫病院」「犬猫美容院」も増えています。わたしもよく女房と行きますが、1時間〜2時間は待たされるのは当たり前です。人間様の病院並になりました。そのうち「ペット保険」ができまして、ペットを飼っている家庭は「強制保険」として加入させられるのではないでしょうか。

「ペット葬儀・火葬〜ペット霊園」まで商売として繁盛しているそうです。また、なんと人間様と「同居」できるお墓まであります。

 わたしなどは、子どものころ犬や猫を「虐待」いたしましたので、あの世とやらに行きましたら、犬猫の「総攻撃」を受けるのではないでしょうか。
 
「老人と犬」で書き始めましたが、やはりどこか「世の中」おかしいのではないでしょうか。ペットブームも「度が過ぎ」ますと、人間が人間を「愛せない」現象があちこちに起こっています。安易にペットに「癒し」を求めることは不安です。

 テレビを見ながら、食事をしながらペットに話しかけるのはどこかが違うのではないでしょうか。人間同士・親と子どもが話しあう機会がだんだん失われているのではないでしょうか。

 いや。それともペットを通じて「家庭の平和」が保たれているのかも知れませんね。我が家も「似たりよったり」だったかも知れません。一つだけ言えることは「孫娘」を抱きしめるのと、「愛犬」の頭をなでるのとは「天と地」のほどの違いがあります。

「老人と老犬」、「子どもをつくらない夫婦」がこれ以上増えないことを「祈る」ばかりです。


寅「ご町内の皆様。この老婆と老人をよろしくお願いし上げます」
さくら「お兄ちゃんもそのうち老人になるのよ」
寅「イヤー。俺はその前に消えていなくなるよ」     


(2004年9月1日)


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