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[5]記録的・局地的・集中豪雨

 9月4日(日)は、世田谷で21時にナイターの野球・審判を終えて家路に向かいました。この時点での天気は霧雨でした。

 車で約20分も走り、あと15分で自宅に到着する予定でした。その時、突然に激しい雨が降ってきました。ワイパーを高速にしても前方が見えません。道路は濁流になっているのです。前を走る車のバックランプだけが唯一の目標に走ることができる状態です。

 一瞬、別世界に突入した感じを受けました。

「なんで、なんでここだけもの凄い雨が降っているの??」
「なんで、なんで道路が濁流なの??」
「なん百回もここは走っているのに、なんで、こうなの??」
「あぁ、そのうち車が水没するかも??」

 道路を挟んだ両側の高台からは滝のように雨水が流れ込んできます。ちょっとした坂道を走るのにもの凄い水の抵抗を受けるのです。

 前を走る車が、怖いのかブレーキをかけながら走るのです。わたしはクラクションをがんがん鳴らし「ブレーキかけるな! 止まるな! へたくそ!」と怒鳴りながら、わたし自身の恐怖感を振り払いました。

 水の中でブレーキをかけながら走りますと、ブレーキが利かなくなるおそれがあるのです。また、水の中で止まると発進が不可能になり最悪な状態になってしまうのです。

 稲妻が激しく光り、雷がすぐそばに落ちました。道路にはぷかぷかと工事用の赤い物などが浮いてきました。前の車はついにガソリンスタンドに避難しました。運転手はわたしの車を睨みつけていました。やはり女性の運転手でした。

 そのうち路肩にライトを点滅し、止まってしまう車が増えてきました。わたしは車を静かに、なるべく浅瀬を選びジグザグに運転しながら、赤信号で止まる時にも浅瀬に止め、あえて対向車線の浅瀬にも止まりました。

 よく水しぶきを上げて車が走るといいますが、全く水しぶきが上がらず、まるで車が泳いでいるように走るのです。幸いわたしの車の座高が乗用車より少し高いので、運転席には水が進入してきません。が、座高の低い車は路肩に避難する以外ありません。

 大勢の人が軒先に出てきました。両側の商店や家々にも水が入ってきた様子です。

 あと100メートルも走りますと、安全地帯の高台に出ます。車に「頑張れ。ガンバレ」と励ましました。この100メートルの長いこと。高台に出た時には「ほっ」としました。

 もっと驚いたことに300メートルも走りますと、雨は小雨で、道路は普通の状態なのです。ということはあそこの場所たけが豪雨と落雷だったのです。

 記録的・局地的・集中豪雨の貴重な体験をいたしました。

 テレビニュースによりますと、東京・神奈川の限られた地域に100ミリの雨が短時間に降りました。わたしは神奈川・麻生区で災難にあったのです。なにしろ自宅の東京・町田市は神奈川を通過しなければならない「東京の僻地」なのです。

 都内〜「東京の僻地」「東京の僻地」〜都内に入るルートはいろいろ開拓しました。曜日、時間帯、天気によってルートを変えています。9月4日(日)は完全にルート選択を間違えました。山登りでしたら「遭難」でした。

 また、わたしの愛車は「イエロー」で目立ちすぎるのです。その結果「集中豪雨」がわたしの車を追いかけてくるのです。


この車は映画「釣りバカ日誌」に時々出演?しています


 次回車を購入する時には「水色」のおとなしい色にします。

 記録的・局地的・集中豪雨に遭い「色きちがい」になってしまいました。


(2005年9月15日)



次回予告編   岩瀬三郎・親分の本

 千駄ヶ谷の駅で一冊の本を拾いました。表題は岩瀬三郎著「あーいい湯だな―岩瀬三郎の湯うゆう紀行―」とありました。

 著者・岩瀬三郎は、知る人ぞ知る「天保水滸伝」で有名な笹川繁蔵親分を祖先に持ち、現在も千葉県・銚子方面で縄張りを持つ岩瀬組の親分であります。

(つづきは10月1日)



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