【2】山との出会い
作  臼井 淳一
挿絵 金光 敏博


 山を歩いていると「あれ?ここの場所来たことがある?確かにある?」そういう錯覚に出会うことがありました。

 私は、2歳〜4歳まで田舎暮らしをしたことがあります。田舎といっても神奈川県・港北区です。50年以上前のことですから、竹やぶ、段々畑、稲穂がゆれる田園、牛小屋、ゴットン便所、鎮守の森、お墓とお寺、小川。これらが遊び場所だったのではないでしょうか。

 「この場所に来た事がある」と錯覚するのは、たぶん子供の頃の体験がそう感じさせたのではないでしょうか。



きりえ「上高地河童橋」


 北アルプス・穂高連峰の山々を歩いている時も、「たしかにこの風景は見たことがある」。そうなんです。昔、おばあさんと段々畑の上から「秩父の山々」を一緒に見ているのです。

 私の山歩きは2歳〜4歳までの田舎暮らしが懐かしく、山に哀愁を感じて始めたのではないでしょうか。とくに「青春」という感性豊かな時代に「山」を体験しておいて良かったと思うことがあります。

 それは「人との出会い」を大切にすることです。この歳(58歳)になり、人との輪がどんどん広がっていくことは、青春時代に山を通じて自然の豊かさを体験したからではないでしょうか。

 22年前、職場の《文集》に「私の青春時代は『山』なしでは語れないが、小僧っ子の私には『山』のことはどうしても書けない」と書いてある「青春の一コマ」という文集を発見しました。まったくそのとおりです。今、すこし、やっと『山』が書けるようになってきました。

(つづく)

[2001年2月]



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