やっ
康さんのこと(番外編)

《 35年ぶりの再会 》

作 臼井 淳一  



 康さんとは座間駅の改札口で再会しました。開口一番「淳坊、ゴチになるぜ、金ないのだ」。私は、一瞬「エッ?」と思いましたが、35年前とちっとも変わってない康さんの顔を見ると、ほのぼのとしてきました。

 焼き鳥屋でビールを飲みながら、昔話をしていると、親子と見られる二人連れの男女がお店に入って来ました。康さんは「ほら、さっき話した同級生の関口だよ。やはり来たか。俺の感はあたった」といいました。よく話を聞きますと、関口さんは座間に居て、妹の弘子さん(秋田在住)の娘さん(大学1年生)と一緒にやってきたのでした。

 私は、酔った勢いで、眼のとても綺麗なその娘さんに「弘子ちゃんの娘さんですか。インターネット見られますか。そうですか。この名刺のアドレスにお母さんの故郷のことが書いてあります」と野球の名刺と、「康さんのこと」(1)をプリントしたものを渡しました。娘さんはそれを読み、深くうなずいていました。

 関口さんの妹、弘子さんとは20代のころ、ほろ苦い思い出があります。私の一方的な片思いだったと思っていますが、なんの「告白」もせずにやり過ごしてしまいました。その娘さんに会えるなんて、35年間の年月が逆さまになったような気分になりました。

 康さんも恋多く、今一歩というところで「結実」しなかったそうです。今でも、好きだった女性に夫婦喧嘩の仲裁を頼まれ、別れたら何時でも俺のところに来い、と言うそうです。また20代のころ、東村山・日産自動車の下請け会社に勤めて、組合運動に参加し、青年部長をつとめ、女性に大いにもてたそうです。空手2段を取り、座間でヤクザとの大立ち回りの話、もう聞いていて面白いことばかりでした。

 2軒目のカラオケに行ってびっくりしました。10人ぐらいのお客さんが、一斉に「康さん!しばらく。元気」と声を掛けてくるのです。中には、近く告示される座間市議選の話を康さんにしてくる人もいました。康さんの顔の広いのに改めて感心させられました。

 最後に、故郷「生麦」で多くの仲間を集めて再会することを話し合いました。
 座間駅で別れるとき、康さんはこんなことを言いました。「淳坊たちに若いころ、民青を紹介してもらえなかったら…組合運動もやらなかったろうし。俺はヤクザになる一歩手前で踏みとどまったよ。俺の一生は映画にしても面白いよ。車寅次郎とどっこいどっこいだよ」とニッコリ笑って言いました。
 そういう私も、どこかで歯車が狂っていたら、どうなっていたかわかりません。康さんとの再会は、お互いを見つめなおす良い機会だったと思いました。


 弘子さんの娘さんへ
 この作文を見ましたら、秋田におられるお母さまにも送って頂けませんか。できましたら近況をお知らせください。

(わるいおじさんより)

[2000年7月]