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第三章 生活綴方に生きて

(2)

●「作文と教育」(日本作文の会編集)百合出版(一九五八年四月号)
 わたしは、このようにして作文を始めた

小 沢  勲    


 子どもは、六年生になりました。ぼくは、四年に落第しました。いっしょにくらしてきた子どもたちへの別れの気持がまだ濃いある日、幸毅のかあちゃんたちが、
「先生、おいそがしいですか。」
といいながら、教室へ入ってきました。
「先生、子どもたちを、いろいろお世話くださって、ありがとうございました。じつは、わたしたちで、何かお礼したいと話しあったのですが、最後の文集にのっていた高橋さんの詩から、ああ、あれがいいと話がきまってここへ持ってきたのですが、先生、失礼ですが、みなさん全部の気持です。どうかお受け取りくださって。」
と、ふろしき包からカバンを取り出しました。
 高橋真夫の詩というのは、つぎのようなものでした。

    カバン
  「ガラガラ ガッタン。」
  浜田君が、
  先生のカバンを
  大事そうに持ってきた。
  皮はむしれ、
  カビがはえているようだ。
  先生は、机においた。
  ワニの皮みたいのが
  日光にうすく光っている。
  ぼくだったら、
  あんなカバン、
  みんなの前におけないなあ。
  それなのに、
  平ちゃらな先生、
  「エライ!」といってやりたい。

  ぼくが大きくなったら、
  良いカバンを買ってやりたいなあ。

 ぼくは、どうもセッカチ者なものですから一時間目の始まる教室で、
「おい、職員室からカバン持ってきてくれ。」
「おい、机の上に、赤い表紙の小さな本あるからな、それ持ってきてくれ。」
などと、忘れ物をとりにいいつけるのです。
「皮はむしれ、カビがはえている」「ワニの皮みたい」と書いていますが、まったくそのとおり、たしかに、ワニ皮の、親父が使いふるしたカバンでした。戦中戦後、イモなんかが、ぎしぎしつめこまれたカバンでした。ほんとに、真夫でなくても、だれだって、「みんなの前におけないなあ」というしろ物なのでした。
 さすが不精者のぼくでも、なんとかフンパツしなければ。だけど、あれもあるし、まあお盆のボーナスあたりには、なんとかするか\\と考えていた矢さきゆえ、ぴかぴかこげ茶色に光り輝いているカバンを目の前にし、うれしくてうれしくてたまらない気持でした。けれど、そううれしい顔もできず、もじもじしてると、千恵のおかあさんが、
「お気の毒なようなご家庭でも、よろこんでくださったんですよ。先生、どうかおおさめくださって。」
という、かさねての言葉をいいしおに、
「では。」
と、ありがたくちょうだいしました。
 ぼくは、いつのまにか年をとってきて、ことしあたり、かなりいそがしくなってくるだろうし、子どもは、子どもらしくなってきて家へ帰れば、
「とうちゃん、すもう。」
と、いどみかかってくるし、やらなくたって、だれに叱られるといった仕事じゃない作文とか、文集なんか、もうやめちゃおう。さぞかし、せいせいするだろう\\と思っていたのでした。
 ところが、おばさんたちが帰ったあと、カバンを、「パチリパチリ」。あけたり、しめたりしているうちに、
「やっぱり、文集は作るべえ。まあ、二、三文の得ぐらいにはなったかな、とは思っていたけれど、まさか、二、三千円の得になるとは考えてもみなかった。作るぞ作るぞ。そして、来年は、そうだな、四年坊主のだれかに『ぼくだったら、あんな洋服、みんなの前で着れないなあ』なんていうやつを書くまでに仕込んでやろう。ようし、あしたから、さっそく作文のスタートだ。」
というわけになってまいりました。
 古い背広に、新しいカバン。心もかるく家へ帰り、おふくろと女房をよろこばせ、夕食もそこそこに、文集をさがしだしました。
 ごりやくのあった最後の文集というのは表紙は画用紙、ガリ版で、「エントツ」と黒く横書きし、下は、「横浜市立生麦小学校5年2組」と、赤・黒インクとりまぜたアズキ色その間に、一樹がほった、いまは亡き工藤邦男君の、本読む上半身を、青インクで刷った、前書きあり、後書きあり、目次ありといった、延々二十四ページにおよぶという、ぼくの文集としては、えらく気張ったものです。
 ぼくは、こんなのをどかんどかん出せば、来年を待たず、今年じゅうに、背広だろうといっしゅん心が燃え上がりました。だけど、ぼくにはとってもできっこないとあきらめ、やっぱり一枚ずつやっていくことにしました。
 名前はどうしようか……。カバンというごりやくのついた縁起のいい名だ、これにしておこうと、あっさりきめ、文集をペラペラとめくりながら、あしたから、四年生に、どういう作文対策を取っていくか、作戦をねり始めたのでした。

    2

 ここで、「エントツ」という名の起りについて、ちょっと書いておきます。
 ぼくのことだから、「作文はなぜ大事か」というようなことは、よく知らないけれど、民主的な人間をつくっていくのに役立つのだろうぐらいに、ばくぜんと思っていたので、始めて文集を作るとき、どんな名前をつけたらいいか、民主的に、子どもたちに聞いてみました。そうしたら、「エントツ」というのが一番多かったのです。
「なぜだ?」と聞いたら、幸治が、
「生麦は、エントツの町だから。」
 正男が、
「エントツみたいに長く続ける。」
 英雄が、
「エントツみたいに、ちっとぐらい風が吹いたって、平気な人になる。」
 京宏が、
「エントツは、ぼくたちに、へんな煙をすわせないようにと、高く立っている。ぼくたちも、人を助けるために勉強するんだから。」
 昇が、
「エントツは、一生けんめい煙をはく。ぼくたちも一生けんめいやる。」
などと答えてくれたのです。
 ぼくは、
「どうも、このへんは灰一色の空だ。せめて、文集の名だけでも、『コバルトの空』とでもするか、それとも、『ダリヤ』がいいかな。そうだ、『みどりの風』というのもちょっといいな。」
などと考えていたのでしたが、「エントツ」といわれてみると、なるほど、うまいことをいったものだと感心してしまい、それに決めたのでした。

    3

 さて、作戦ですが、文集の一番始めに、親への「あいさつ」がとじこんでありました。これは受持ちがきまった日、名簿を見ながら“時一”……。ふーん、“一時”の反対か……。なるほど、一時やッと何かやりだしてもすぐあきてしまうような人間になってもらいたくない\\というわけなのかな。
なになに。“茜”……。なんて読むんだ。どこかで見たような字だな。なにか奥深い意味があるんだろうな。
“正子”“実”……どれもこれも、家中で考えに考えぬいたあげく、付けた名前なんだな。
おれの息子のときだってそうだった。“明”という、かんたん至極の名だけど、他人が見れば、フチョウみたいなものだろうけれど、これに決めるまでには、あれこれ、いろんなことがあったものなあ……。」
といった感慨がわいてくるままに、鉄筆をとり、「ぼくの生い立ちの記」を書き、「ぼくへの注文」を書いてくれるように、おねがいしたものでした。
 それを読み返しながら、ああ、この「あいさつ」こそ、ごりやくのもとになっていたんだな、と思いました。そしてこんどは、すぐ鉄筆ではなく、しんちょうに下書きし、あした、すぐ配ろうというわけで、つぎのようなことを書きました。

「ぼくは、このたび、えんあって、みなさんの大切な子どもさんと、一しょにくらしていくことになった、小沢勲という者です。
 大正十年二月十八日、横須賀の、柏木田というゆうかくのそばの、駄菓子屋の長男として生まれました。
 高等科から、鉄道と師範を受けたのでしたが、両方落ちたけど、親がムリして中学校あげてくれたので、どうやら、今、先生をやっています。
 家族は、おばあちゃん、にょうぼ、弟二人、三つの男の子が一人です。
 おばあちゃんは、毛糸の内職、にょうぼは看護婦でしたが、子どもを生んでから、勤められなくなり、今は、内職の手伝いをやっています。
 ここのところ、おおやさんから、立ちのきを命じられ、どこかへ、六人、どうにか住める小屋を作らなければならぬはめに立ちいたっています。
 あれやこれや、いろんなことがありますが、大切なお子さんたちのため、なんとか一生けん命やらなければと思っています。
 この紙の半分の方へ、子どもさんのことにつき、ぼくに知らせておきたいとお思いのことを書いてください。ぼんやり者ですから、からだのこと、そのほか、どんなことでも、こまかく書いてくれたら、ありがたいです。
 もう一枚、役所から来たような紙がありますが、その方もよろしくおねがいします。」

 この「あいさつ」は、ごりやくのもとだけあって、やっぱり、なかなかのききめをあげました。
 一面識もない、おまけに、子どもを人質にとられている親ごさんたちから、
「この子の父親は、日蓮正宗の信仰を夢中でやって居ります。最近では、気が狂ったと、世間の人達は馬鹿にして居ります。」
とか、
「家のない町の立退き御気の毒に存じます。家のことに対しての御話は、出来るだけ御相談にのります。御用の時は、御電話下さい(5)の5528」
などなど、正直な返事、きたならしい字の返事、へたくそな文章の返事までが、おいそがしい暮らしの中から、たちまち、ぼくの手もとまで届いてきました。

     4

 さて、つぎに、「第一号」から「第五号」までを見ると、同じ調子の、作文みたいなものが、ずらりとならんでいました。これらは、みんな、1/4わら半紙に書いて、投書箱に入れられたものでした。
 二、三例をあげると、

 先生お手紙ありがとう、先生が、「青豆すきか。」と、いってから、岡田さんが、私のことを、「青豆さん、青豆さん、」といって、からかいます。
 だから、私も、くやしいので「ブタさん、ブタさん、」といって、ふざけていると、すぐにぶつから、なるべくあだなになるようなことをいわないでください。
                  四月十二日
  〔先生から
「五年だというのに小さいね。ふくらましこでも飲んでみるかね。」
なんて、おかあさんからいわれてしまう豆チャンよ。
 まあ、あんまりおこらないで、タンパクしつと、シボウと、デンプンと、それから、ビタミンのかたまりみたいな光チャンのように、太ることですな。
 先生みたいに、なんでもかんでも食べてしまうことですな。
    ○
小沢先生いはわたしは、はじめ先生はこわいとおもったけれど先生いははじめのひのほうはやさしかったけどだんだんなれてきたらだんだんこわくなったそしてから先生いはみんなにつうしんをだんだんくれるようになったのでうちのおかあさんはこの先生いはまめだといった。
 〔心ぞうのよわい先生から
 まめですか。先生ほめてもらっちゃった。光ちゃんが書いてくれたので、まめだとほめられたことが、よくわかりました。ありがとう、ありがとう。
 だけど、こんど書いてくれるときには、いきをつくところに、と。をつけてくださいね。

    ○
今日は、ぼくは、ふでいれをわすれてしまいましたぼくは、田中しでじろうくんに「えんぴつをかして。」といったらすぐかしてくれた
しかも
コーリンとゆうじょうとうのえんぴつをかしてくれた。
こんどしでじろうくんはわすれたら、かしてやろう、とおもった
 〔先生から
 空気係の淳ちゃん。窓をあけたりしめたりする役目をかって出た、われらの淳ちゃん。田中英次郎のことを教えてくれて、ありがとう。「コーリンというじょうとうの」なんて、うまく書けたね。カギもちゃんとつけてるな。えらいえらい。

 去年のままだったら、背広にはならない。ことしは、こういうことはやめようと、読み終ってから、つぎのようなことを考えました。
@ 書いてきたとおり、そのまま原紙に写した。そして、表記のあれこれ、生活指導のあれこれを、ゴッチャにやった。
あんなことをしていたから、子どもの頭の中は、あのことこのことでゴシャゴシャしてしまい、この時間に、いったい何の勉強をしたか、わからなかったわけだ。
ことしは「勉強する目あてをぼく自身ハッキリ持ち、その点だけは原文のままとし、あとは、こちらで訂正してやろう。
「小沢先生はまめだ」とほめてくださったおかあさんも、娘の作文を読んで、さぞかし気はずかしい思いをなさったにちがいない。ご当人も、「先生い」の「い」はいらない! なんていわれ、ああ、文集になんかのんないほうがよかったわ……と、さぞかし肩身のせまい思いをしただろう。
A 五年でも、これでは字が細かすぎる。ケチケチしないで、余白をうんととり、カットなどもいれて、子どもに読みやすく、つかれて帰るおじさんたちの目にも、気軽に入っていくようなものを作っていくことにしよう。

★ これからも続けようと思ったことは、
@ こういうはいり方が一番いいだろう。おれのようなずくなしには、もってこいのやり方だ。原稿用紙に、「四年になって」なんていう、しゃれた題で書かせてみたところで、おれなんかには、とうてい始末できるものじゃない。どこかへつっこんでしまうぐらいが関の山だ。そうだそうだ、ざら紙1/4に、あんなことを書かせてみることにかぎる。
A 文集、一・二・三・四あたりには。
「頭いいな。こんなの中学生でもわからないだろう。」などと、チョクチョクほめられるような子のは、出てきていない。「一号」を配ったとき、みんな、「あれ、あいつのが出ている。よし、それじゃあ、おれだって、あたいだって。」と、教室の中がワッとわいた。あの出し方だな。
B どの子もどの子も、〔先生から〕を読む目が光っていた。めんどくさいけど、ふだん子どもに話しかけるようなコトバで、たっぷり書いてやることにしよう。どうも、おれには、すぐケチをつけるクセがある。ケチは後まわし。へたな子ほどほめなければ。
さて、と、ぼくは考えました。五年にもなって、

わたくしはきのう2じかんめのときわたしがきのうほんおよむときよんだらわたくしははずかしいのでわたくしは本んおよんだあとかおがまっかになりました。

というようなことしか書けない子が、なぜ、「書け!」とも、「書いてくれ」。ともいわれないのに、あの引き出しからあの紙をとりだして、マンガを読んでいたって、お手玉やまり投げやっていたって、だれにも怒られる心配のないあの時間に、どうして、ヘタクソな作文みたいなものを書く気になったのか、文集を出すと、グンと書いた。けど、出す前にはどうしていたっけ……。ああそうだった、そうそう、あの1/4の紙に、まず、おれから書き出したんだっけ。あれだったな。めんどくさいけど、背広への道だ、よし始めようと決意しました。

    5

 翌日から、子どもたちの帰った教室で、つぎのようなものを書き始めました。
    ○
古川。先生が、
「古川は、『起立!』とやる役をやれるか?」
と聞いたろ。あの時、お前は、こっくりしたね。先生は、
「よし、じゃたのむ。」
といったけど、あぶなっかしいなと思っていたのさ。
 古川は、元気のないやつだと思っていたからさ。だから、けさ、古川が、ピーンとしたしせいで、
「キリツー!」
といった時には、びっくりぎょう天してしまったよ。
 お前は、りっぱな号令係だ。
    ○
 洋子さんは、おとなしい いい子だね。わるいところは、はなをたらしていることぐらいでしょう。
 だけど、洋子さんは、おとなしすぎて、すこしも手をあげてくれなかったね。
 だから、先生は、きょう、洋子さんがスッと手をあげて、本をよんでくれたことが、うれしくてうれしくてたまらなかったのさ。
 (洋子さんのおかあさんへ)
 おめでとうございます。洋子さんは、サラダが大すきということですね。うんと食べさせてやってください。そして、おうちの人みんなで、ほめてやってください。

 こんなものを続けて書いていると、キトクな子がでてくるものです。和男が、ぼくのまねをした、つぎのような返事を書いてきてくれました。

    ハ ガ キ
先生にもらったハガキおよんだ。かずおははいってきたともだち(新入学生を仲間にいれ、竹のぼりして遊んだこと)お、あそんでやる。と、かいてあった。
ハガキのおわりに、おざわいさおとかいてあった。
ぼくは、そでをみて、わくわくした。
かあちゃんにほめだれて、するめをもらた。先生にやる。
                せきぐちかずお

 スルメの足が三本包まれていました。
 ぼくは、むしゃむしゃやってしまってから、
「ああ、こんなうまいスルメは、生まれて始めて食べたよ。だけど、これのほうがずっとうまい。」
といってから、みんなに読んでやり、
「先生は、みんなのいいとこを、一生けんめい見つけようとしてるんだけど、目玉が二つしかないから、よく見えない。でも、この教室には、ぜんぶ合わせると、百十四もの目玉があるわけだね。お友だちのいいことに気がついたら、ほら、先生が使っているこの小さな紙に書いて、教えておくれよ。」
と、ちゅう文してみました。
 反応はすぐあらわれ、作文を書かせられるというような気持でなしに、気軽に書いた小さな紙が、友だちのこと、先生のこと、家のことと広がりながら、たまっていきました。



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